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鬼塚英昭著『日本のいちばん醜い日』 of 待望の小沢政権誕生!?

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HOME > Politics > 鬼塚英昭著『日本のいちばん醜い日』


P2170202.JPG12年2月17日訪問
P2170217.JPG三国志の歴史の町
P2180325.JPG念願の上海訪問

【必読書!】今年《2016年》1月25日に78歳で他界されたノンフィクション作家鬼塚英昭氏の遺作のご紹
      介です!

■田中角栄こそが対中売国者である 〈佐藤慎一郎・総理秘密報告書〉を読み解く
 2016/3/4発売 鬼塚 英昭 (著) ¥ 1,944


http://goo.gl/9BMYp2

鬼塚英昭・最後の著作。「人生の最後に、素晴らしい男に出会えた」-鬼塚英昭
氏・病床での言葉

「素晴らしい男」とは清貧・反骨の中国学者・佐藤慎一郎であり、氏が32年3ヶ
月書き続けた〈総理大臣秘密報告書〉を奇縁で入手、徹底分析し、角 栄の中国
利権の全貌を明らかにする。

3000億円対中援助の見返りリベート300億円!
「なぜ角栄は、田中軍団の維持費、年間3億円著超の弁護費用を捻出できたの
か」・・・・あの立花隆の積年の疑問が白日の下に!

空港も地下鉄も高速道路も、学校も病院も、みな日本の援助で造ったのに、なぜ
中国は感謝しないのか?―それは、日本の黒い秘密を中国共産党は知り 尽くして
いるから。
著者が最後の力を振り絞って対峙した巨魁、それは田中角栄であった。

[目次]

[第1章]角栄に戦いを挑んだ中国学者

[第2章]田中角栄、周恩来にまんまと騙される

[第3章]「日中国交正常化」交渉の奇々怪々

[第4章]対中借款リベート「三百億円」の亡霊

[第5章]角栄と鄧小平によって日本は暗黒国家となった

[第6章]闇将軍の金脈は中国利権だった

[第7章]田中角栄と娘・田中真紀子の媚中事情

[終章]終わりなき対中援助に怒りを込めて

あとがきに代えて

※鬼塚英昭氏は遺作となった『田中角栄こそが対中売国者である』の原稿を2015
年12月10日に脱稿後の12月21日、体調の不調を自覚して緊 急入院。検査の結
果、胃を原発部位とする進行がんが発見されました。明けて2016年1月25日、薬
石効なく、大分県別府市内の病院にて永眠なさ いました。享年78。生前の筆業
を偲び、謹んでご冥福をお祈りいたします。

(終り)

山口県田布施町の怪 ~日本国家の真相~ (心に青雲)
http://www.asyura2.com/07/bd50/msg/536.html
投稿者 ウソ捏造工場 日時 2007 年 9 月 10 日 19:11:32: OszuLYfIhReeI


山口県田布施町の怪(上)
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/7839377a3613e3d90e1198535ea65ced

《1》
 鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、日本国家の真相は、明治維新で長州藩田布施一味に国家を乗っ取られたということであることが解る。
 長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。熊毛郡の田布施町を中心にしている。ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。
 小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落である。小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。
 ユダヤ国際金融権力は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別部落を調査させている。

 『日本のいちばん醜い日』に益田勝実氏の文章が引用されている。
 「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされことだったが、近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったが、天皇の国家はなかった。尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。かれらが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和出来るうちはよいとして、その矛盾が激化すると、……激化すると、天皇を取り換えてしまうほかなくなる。
 わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだろう。奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。(益田勝実『天皇史の一面』より)」
 益田勝実は長州の国家老一族である。だから田布施の住民を虐げた側というか、支配した(あるいは敵対した)側である。その子孫である益田勝実が、「てんのうはん」、つまり、山口県熊毛郡田布施町麻郷(おごう)に生まれ、孝明天皇の長子睦仁の替え玉となり、明治天皇となった真相を突いたのだ。

 『日本のいちばん醜い日』では、「大室寅之助は田布施の生まれ、……伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。また宮本顕治(日本共産党)も一族。そして、木戸幸一も系図に入ってくる。京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も大室寅之助の生家の近くである。
……大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。」(「日本のいちばん醜い日」より)
 明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族には、このような真相があるのである。

 鬼塚氏も書いているが、瀬戸内海の沿岸や島々には被差別部落が多い。そこからアメリカや中南米に移民として行かされた人も多い。「家船漁民」といって、船上で暮らす人々も瀬戸内地方には多かった。いずれも彼らはマレーシア方面から漂着した平家系の民であろう。
 源平の戦いがあった平安末期、貴族となって権勢を誇った平清盛一族は、(八切止夫によれば)マレーシア方面から比較的新しく紀伊半島に“鉄器を持って” 漂着した部族であった。その彼ら貴族化した平家を、それ以前に土着していた北条氏らの平家一族が源氏(頼朝や義経)という馬を扱える部族を使って日本国内から放逐したのがあの源平の戦いである。だから清盛一族側の貴族化した平家は、海洋民族だったから騎馬戦は得意ではなく、義経に追われると瀬戸内海を下関(壇ノ浦)まで逃げた。当然瀬戸内海には海洋民族である土着の平家系のいわば海賊もいたのだが、彼らは北条側の平家に就いて義経に協力したため、貴族化した平家らは撤退せざるを得なかった。だから源平の戦いとは、本質的に“新来の平家”と“旧来土着の平家”との内ゲバであった。

 それで勝った側の北条平家は、源氏系統=北朝鮮系を皆殺しにし、生き残った源氏系部族人間は別所などと言われる被差別部落に追い込んだ。おそらく瀬戸内一帯に土着していた源氏系の部族も別所などの被差別部落に押し込めて、まともな活動ができぬように圧迫したと思われる。その一つが山口県の熊毛郡なのであろうし、遠く鹿児島にも同様の田布施として源氏系部落を作ったのではないか。田布施という所は「正直いって、住むのに悪条件だらけの土地であった」と鬼塚氏は書いている。あるいは「やたらと寺の多さに気づく」とも書いている。権力者が寺院を使って被差別部落を抑えつけたのだろうし、本来は白山信仰を持ち仏教には転向しない源氏系(北朝鮮系)を強引に仏教徒にしようとした痕が、田布施の寺の群れなのだろう。
 鬼塚氏は、田布施出身の大室寅之祐の家が漁業を営んでいないことを指摘している。ということは大室家が平家ではないことを意味している。平家系の庶民の職業は、漁民か百姓と決まっていたからだ。鬼塚氏は大室寅之祐が北朝鮮系の被差別部落民ではないかと言っている。「週刊朝日」06年10月6日号に掲載された「家政婦は見た~安倍晋三研究」で、安倍家の家政婦の証言として、安倍晋三の父・晋太郎は、日頃から「自分は朝鮮だ」が口癖で、亡くなったときの遺骨を見ても韓国系の体型だったと言っている。

山口県田布施町の怪(下)
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/1c1ad0126db64c496dc1e8b573179ef5

《2》
 現在の天皇家としては明治天皇=大室寅之祐の血筋は途切れたものの、田布施(または熊毛郡)出身の一族郎党が国の権力を握っていることに変わりはないようだ。安倍晋三が首相を辞めない(辞められない?)その傲慢さも、彼が明治以降に日本を牛耳ってきた権力を受け継いでいるからだろう。それに安倍晋三は統一教会と縁が深いのだからまさに朝鮮半島勢力である。明治天皇とその取り巻きが、なにせ田布施出身の朝鮮人系統なのだから、現実の政治はその流れに沿うのである。
 終戦時(と開戦時)に外相だった東郷茂徳は、鹿児島の朝鮮人部落出身である。本名は朴茂徳である。鹿児島ではあるが、田布施と同じ出自なのだ。だから昭和天皇は終戦の大事な時期に、東郷茂徳を起用した。東郷に外交ルートを使った終戦工作、すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。東郷はA級戦犯となり、服役中に病没しているが、おそらく真相を知る人間だから消されたのであろう。
 先に紹介したが、終戦時の安倍源基内務大臣は熊毛郡の出身で、安倍晋太郎・晋三との結びつきは不明らしい(家紋は同じ)が、大室家とは親族だという。安倍源基は周知のように、戦前、警察権力を一手に握った男で警視総監をやり、特高警察で君臨した。言ってみればゲシュタポかKGBの親分のようなものだ。権力者にとっては重要なポジションである。これもまた朝鮮人系が握っていたのだ。
 さらに。鬼塚氏が指摘しているのは、終戦時の内閣では大分県出身者が多いという。阿南惟幾陸相(竹田市出身)、梅津美治郎陸軍参謀長(中津市出身)、豊田副武海軍軍令部長(杵築市出身)、また重光葵(東久邇宮内閣外相)は国東半島出身。大分県は瀬戸内海で田布施とつながっている。この辺りは、先の家船漁民の活動範囲であって、その交流のなかで婚姻関係が結ばれていたはずなのである。つまり昭和天皇は同じ朝鮮人関係者で、敗戦処理を行なったのであった。
 こうして見てくると、どうして明治権力が朝鮮半島に侵出したか、しかも朝鮮半島をいわゆる植民地化せずに“内地化”して、インフラ整備を徹底的に施し、 “内鮮一致”を押し進めたかがわかる。つまり日本が稼いだ富を祖国・朝鮮半島にせっせと注入したのだ。また日本国内に在日朝鮮人を大量に残し、厚遇してきたかもわかる。権力者どもにとっては同族だからだ。わざと(ユダヤの指示で)日本国内に火種を残したとも言えるだろう。北による拉致だってわかったものではない。総連や北の工作員だけでなく、こうした闇のルートが拉致に介在した可能性もあるし、現在も小泉や安倍という朝鮮系の人間が首相をやっているのだから、闇は深まるばかりだ。
 こうして見てくると、話はやや飛ぶが、「アカシックレコード」の佐々木敏氏や、「国際情勢の分析と予測」サイトが指摘する、日本と北朝鮮は本当はかなり親しい関係にあって、ケンカしているように見せているのは表面的なことではないか、との予測は当たっているのかもしれない。冗談に聞こえるのだが、北の金日成や金正日は、「日」の字があって、親日の意味がこもっているのだとの説もあながち荒唐無稽な話ではないのかもしれない。つまり、われわれは「日」といえば日本の「日」だと固く思いこんでいるが、そうではなく、もうちょっと東アジア一帯という視点を持つと、北朝鮮系とそれに呼応する日本の源氏系(?)との連携(=同族)を意味する言葉が「日」なのかもしれない。
 「アカシックレコード」の佐々木敏氏はしきりに中朝戦争の危機を指摘している。安倍政権は中朝戦争に反対していると言われ、だから何がなんでも政権を維持して、祖国(?)北朝鮮が戦争に巻き込まれないように、あるいは中朝戦争によって東アジアの朝鮮族連合が破綻しないように、必死なのかもしれない。安倍政権が転覆すれば中朝戦争が必至とも予測されるなか、韓国系やら北系やらの思惑が交錯しているのが現況なのか。今度の朝鮮南北首脳会談もそれを受けてのこととも考えられる。

《3》
 さらに鬼塚氏は興味深いことを書いている。明治天皇の生母とされる中山慶子(つまり孝明天皇の種をもらった女性)の墓が東京・文京区の豊島ケ岡墓所にある。ところがこの明治天皇の生母の墓を、明治天皇を始め皇族まで誰も参拝に行っていないのだという。現在の中山家当主は、鬼塚氏の問い合わせに「生母に関しては箝口令がしかれていて、一切答えられない」と言ったそうだ。
 これはつまり、明治帝がやはり孝明天皇と中山慶子の子ではないことの証明である。生前に明治天皇は生母に会ってさえいない。「この人間関係の冷たさがーーたとえ生母でなくても会えばいいではないかーー日本の暗黒をより深くし、日本を太平洋戦争へと突き進ませたと思えてならなかった」と鬼塚氏は書いた。そのとおりである。昭和天皇も今上天皇もその他皇族も、孝明天皇の子孫と思うのなら、中山慶子の墓を粗末にするはずがないのだ。
 先に「現在の天皇家は、明治の大室寅之祐の血筋は途切れた」と書いたが、大正天皇はどうやら大室寅之祐の子らしいが、昭和天皇は大正天皇の子ではないからである。西園寺八郎と貞明皇后のあいだの子とされる。その事情を『日本のいちばん醜い日』で詳述している。西園寺八郎は毛利家から公家の西園寺公望(元老でありフリーメースン)の養子になった人物で、宮中深く浸透した。大正天皇とは学習院で同級生だった。その息子公一(きんかず)は、コミュニストでゾルゲ事件に連座したが、親(八郎)のよしみで釈放されている。
 明治天皇も伊藤博文も、大正天皇に子どもができないことを知っていたので、西園寺八郎を貞明皇后に近づけたとされる。それを鬼塚氏は詳細に検証していく。そして、大正天皇の子4人(昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮)はいずれも父親は別とされる。みんな顔が似ていない。(浩宮と秋篠宮もまったく似ていないが…)
 鬼塚氏は、秩父宮が2・26事件の策を練り、終戦時の8・15宮城事件は三笠宮が策を練ったのだと断言している。どちらのクーデターもヤラセだった。
 貞明皇后(節子*さだこ)はしきりに世継ぎに介入したとされる。秩父宮を溺愛し、裕仁より秩父宮を天皇にしようと暗躍した。貞明皇后は長州が嫌いだったので、薩摩系の良子を昭和天皇の嫁にしようとして「宮中某重大事件」を起こしている。
 貞明皇后は五摂家のひとつ九条家から嫁したとされるがウソで、武蔵野のある大農家の娘だったという説と、彼女の本名は朱貞明だという説がある。中国か朝鮮であろう。朱貞明は、明治政府が徳川幕府から接収した皇居(千代田城)を、高級遊郭にしたのだが、そこに召し出された女性だという。千代田城は「千代田遊郭」と呼ばれ、伊藤博文や大室寅之祐らが、維新で職を失った旗本の娘から美女を選んで囲ったもので、天皇と重臣の遊び場だった。朱貞明が長州の侍に騙されたかして千代田遊郭に入れられ、後に大正天皇の嫁にさせられたとするなら、長州嫌いになったわけもわかる。
 貞明皇后は秩父宮の妃を迎えるにあたっては、わざわざ朝敵とされた会津藩松平家から勢津子を選んで、長州への面当てをやった。(ちなみに勢津子のかかりつけの美容師が吉行あぐりである)この会津から皇室への婚姻で、会津の人は喜んだというが…。
 今上天皇が堂々、天皇家の祖先は朝鮮から来たんだと記者会見で言って、驚かされたが、つまり今上天皇は、祖母の貞明皇后が朝鮮系であることを述べていたのだと思われる。
 いずれにせよ、かように日本上層部は、民族的怨念と覇権を巡っての暗闘を続けているのであって、現在の自民党や民主党ら政党の争いとか、霞ヶ関の官僚の争いも、そうした背景を知らねば解明はできないものと思われる。

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私は昨日まで2週間かかって

鬼塚英昭著

『日本のいちばん醜い日』(2007年)を読みました。きっかけは、国民に巧妙に隠されてきた【でっちあげ天皇制=田布施システム】こそが、明治

維新から現在までの日本を支配する【国民支配と国民搾取】の根本であ り、全

ての国民はその真実を知り解体に決起すべきだ!という杉並からの情報発信の山崎康彦さんの情報からでした。鬼塚氏のこの本は、目から鱗の素晴らしい内容でした。





Wikipediaより

鬼塚英昭

この存命人物の記事には、出典が全くありません。

信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料は、すぐに除去する必要があります。(2014年1月)




鬼塚 英昭(おにづか ひであき、1938年 - )は日本のノンフィクション作家、郷土史家、竹細工職人。





目次 [非表示]

1 経歴

2 著書 2.1 天皇関連

2.2 経済関連

2.3 戦後史関連

2.4 私家版の歴史・郷土史





経歴[編集]


大分県別府市生まれ。大分県立別府鶴見丘高等学校卒業、中央大学法学部に入学するが学費未納で中退。故郷の別府にて家業の竹細工職人となる。


最近では、菊タブーや国際情勢についての著作を執筆している。


著書[編集]


全て成甲書房刊


天皇関連[編集]

『天皇のロザリオ』(上巻「日本キリスト教国化の策謀」、下巻「皇室に封印された聖書」)(2006年)

『日本のいちばん醜い日』(2007年)

『原爆の秘密』(国内編「昭和天皇は知っていた」、(国外編「殺人兵器と狂気の錬金術」)(2008年)


経済関連[編集]

『日経新聞を死ぬまで読んでも解らない 金の値段の裏のウラ』 (2007年)

『八百長恐慌! 「サブプライム=国際ネズミ講」を仕掛けたのは誰だ』(2008年)

『トヨタが消える日 利益2兆円企業・貪欲生産主義の末路』(2009年)

『ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する』(2009年)

『金は暴落する!2011年の衝撃 ロスチャイルド黄金支配のシナリオを読み解く』(2010年)


戦後史関連[編集]

『20世紀のファウスト』(上巻「黒い貴族がつくる欺瞞の歴史」、下巻「 美しい戦争に飢えた世界権力」)(2010年)

『白洲次郎の嘘 日本の属国化を背負った「売国者ジョン」』2013年 


私家版の歴史・郷土史[編集]

『海の門 別府劇場哀愁編』

『石井一郎の生涯 別府劇場任侠編』

『豊の国の竹の文化史』










国民に巧妙に隠されてきた【でっちあげ天皇制=田布施システム】こそが、明治

維新から現在までの日本を支配する【国民支配と国民搾取】の根本であ り、全

ての国民はその真実を知り解体に決起すべきだ!


【でっちあげ天皇制=田布施システム】は、伊藤博文、岩倉具視、大久保利通ら

の統幕派が孝明天皇と睦人親王を暗殺し自らの出身地である山口県熊毛 郡田布

施町の大室寅之助を明治天皇にすり替え、この大陰謀を隠ぺいするために1890年

に【大日本帝国憲法】を発布し【天皇神格化】【天皇絶対 化】【万世一系の天

皇】【統帥権不可侵化】をでっちあげ、明治天皇と昭和天皇による国民弾圧とア

ジア・太平洋侵略戦争を主導した!


この【でっちあげ天皇制=田布施システム】は、1867年の明治維新以降1945年の

アジア太平洋侵略戦争敗戦までの日本を支配し海外侵略戦争と 国民弾圧を実行

した【天皇制軍事独裁体制】の根幹であった。1945年の敗戦によって一時的に消

滅したが、米国支配層は戦後の日本を支配し搾取す る道具として【田布施シス

テム】を復活させ【象徴天皇制】という形で現在まで機能させているのだ!


1945年の敗戦後、戦勝国の米国支配層と一体となって【米国による日本植民地

化】の基礎を築き国民を支配し搾取してきたのは戦争責任を免責され 1950年代

に日本の権力機構に完全復活した【戦後の田布施システム】である!


【戦後の田布施システム】を担った中心人物は、戦争犯罪を免責され【平和天

皇】を演じて助命と天皇制存続と引き換えに日本全土への米軍駐留を推進 した

昭和天皇と米国CIAスパイになることでA級戦犯処刑を逃れ米国支配層の援助で首

相となり1960年に国民の大反対を暴力で封じ込んで【日米 安保条約】【日米地

位協定】を強行採決し現在まで続く【米国による日本支配】の法的根拠を与えた

岸信介であろう!


1947年5月3日に【日本国憲法】が公布された段階で、国民は昭和天皇をはじめと

する戦争犯罪の政治家や軍人や国家官僚や経済人らの責任追及と 厳罰処分しつ

いほうすべきだったのだ!


1947年5月3日に【日本国憲法】が公布された段階で、国民は国民弾圧を犯した特

高官僚や内務官僚の責任を追及し厳しく処罰すべきだったのだ!


1947年5月3日に【日本国憲法】が公布された段階で、国民は【天皇制】【靖国神

社】【君が代】【日の丸】を廃止すべきだったのだ!


その時には何もできず、その後もずっと何もしないできた【大きなつけ】が、今

【戦後田布施システム】の守護神である安倍晋三というグロテスクな ファシス

ト&サイコパス(人格破壊者)の政治家の登場を許し日本を戦争と貧困と差別と棄

民の暗黒世界に導こうと暴走するのを許しているのだ!


【関連情報1】


▼明治維新以降現在までの山口県田布施町周辺出身の首相8名!


伊藤博文(田布施町)、山形有朋(萩市)、桂太郎(萩市),寺内正毅(山口市),田中儀

一(萩市),岸信介(田布施町),佐藤栄作(田布施町), 安倍晋三(長門市)


【関連情報2】


▲山口県熊毛郡田布施町周辺から排出した人材


大室寅之助 すり替え明治天皇


伊藤博文 長州藩士、首相


山縣有朋 長州藩士、軍人、政治家、首相


岸信介  官僚、政治家、A級戦犯、首相


佐藤栄作 官僚、政治家、首相


難波作之助 代議士。皇太子(昭和天皇)暗殺未遂犯の難波大助の父親


国光五郎  代議士


鮎川義介(ぎすけ) 日産コンチェルンの総帥


久原房之助(くはらふさのすけ)日立グループの総帥


松岡洋右 戦前の外務大臣


宮本賢治 日本共産党元議長


河上肇  マルクス主義を世に広めた京大教授、


岩田宙造 法律界の大御所といわれた学者。


安部源基 特高警察のトップ。


【関連情報3】


▼戦後国会議員になった戦前の特高官僚出身別リスト(計54名)


(『告発―戦後の特高官僚―反動潮流の源泉』参照、当選順、主な特高歴)


A:中央(内務省警保局+警視庁特高)出身者(35名)


1)増田甲子七・警保局図書課、


2)大村清一・警保局長、


3)館哲二・内務次官


4)町村金五・警保局長


*自民党衆議院議員町村信孝の実父。


5)今松治郎・警保局長


6)大麻唯男・警保局外事課長、


7)岡田忠彦・警保局長、


8)河原田稼吉・保安課長・内相、


9)田子一民・警保局保安課長兼図書課長、


10)館林三喜男・警保局事務官活動写真フィルム検閲係主任、


11)富田健治・警保局長


12)灘尾弘吉・内務次官


13)古井喜実・警保局長


14)山崎巌・警保局長 


*自民党国会議員として【憲法改正】【靖国神社法案】で暗躍


15)相川勝六・警保局保安課長、


16)橋本清吉・警保局長、


17)大達茂雄・内務相、


18)後藤文夫・警保局長、


19)広瀬久忠・内務次官、


20)大坪保雄・警保局図書課長、


21)唐沢俊樹・警保局長、


22)川崎末五郎・警保局図書課長、


23)重成格・警保局検閲課長、


24)桜井三郎・警保局事務官ローマ駐在官、


25)湯沢三千男・内相、


26)金井元彦・警保局検閲課長、


27)大久保留次郎・警視庁特高課長、


28)岡田喜久治・警視庁外事課長兼特高課長


29)鈴木幹雄・警視庁特高部外事課長


30)池田清・警視庁外事課長・警視総監


31)伊能芳雄・警視庁特高課長、


32)纐纈弥三・警視庁特高課長、


33)岡崎英城・警視庁特高部長、


34)薄田美朝・大阪府特高課警部・警視総監、


35)原文兵衛・鹿児島県特高課長、警視総監


B:地方特高出身者(18都府県19名)


1)大阪:保岡武久・大阪府特高課長、


2)青森:寺本広作・青森県特高課長、


3)岩手:古屋亨・岩手県特高課長、


4)秋田:松浦栄・秋田県特高課長、


5)新潟:岡本茂・新潟県特高課長、


6)福井:菅太郎・福井県外事課長兼特高課長、


7)神奈川:安井誠一郎・神奈川県外事課長、


8)静岡:西村直己・静岡県特高課警部


9)長野:川合武・長野県特高課長


10)滋賀:吉江勝保・滋賀県特高課長、


11)京都:中村清・京都府特高課長


12)京都:丹羽喬四郎・京都府特高課長


13)和歌山:増原恵吉・和歌山県特高課長、


14)兵庫:雪沢千代治・兵庫県外事課長、


15)広島:鈴木直人・広島県特高課長、


16)鳥取:高村坂彦・鳥取県特高課長


*自民党副総裁高村正彦の実父。祖父高村宇佐吉は山口県熊毛郡三井村(現光市

三井)生まれの大工の棟梁で村会議員。


17)山口:亀山孝一・山口県特高課長、


18)熊本:青柳一郎・熊本県特高課長


19)鹿児島:奥野誠亮・鹿児島県特高課長、


☆(2)今日のサブテーマ:


戦後GHQに免責された戦前の特高官僚こそが現在まで続く【でっちあげ天皇制=

田布施システム】の司令塔である!


特高警察が共産党員でプロレタリア作家小林多喜二に加えた拷問は、こめかみ、

首、背中、太もも、陰部などに加えられ手の指は反り返されていたほど むごい

ものだった。拷問の責任者は警視庁特高部長安倍源基、警視庁特高課長毛利基、

警視庁特高係長中川成夫、警視庁特高警部山県為三で彼らは戦前 は共産党弾圧

の「功績」で出世街道を歩み、戦後はGHQ意よって全ての犯罪が免責され戦前と

同じように出世していった。


参考資料1

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