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2005.6.9  大波小波

JR西日本の福知山線脱線転覆事故からひと月半になる。世界の鉄道事故史に残ること請け合いの今回の大惨事は、なぜ起きたのだろうか。現象面から言えば明らかに人災である。だが事故調査委員会が、運転士の技術面や過密ダイヤなど目に見える原因のみで、今回の事故を解明しようとしたら、落とし穴にご用心。
 国鉄の民営化で極端な利益追求が至上命令となると、JR西日本は社員を単なる人的資源と見なすようになり、安全性を無視した実行不可能ともいえるダイヤを組み、それを運転士に強いてきた。厳罰主義、問答無用式による「金儲け第一主義」は、大阪支社長が4月に全社員に配布した文書に如実である。
『週刊金曜日』五五六号によれば、財産になる優秀な職員は「人財」、平均レベルの職員は「人材」、ただいるだけの職員は「人在」、邪魔な職員は「人罪」と、「ジンザイ」を4種類に分けてはばからなかったとか。むろん待遇にも大きな格差がつけられていた。安全性無視の経営方針のもとでは、乗客も単なる“モノ”でしかなかったのである。小泉首相が進める構造改革とやらが、必ずしもバラ色の世界を現出させるとは限らない一つの回答がここにもある。

05.6.1  大波小波
勝ち組、負け組といった生活格差の広がりが、競争社会の行き過ぎに目を向けさせている。日本社会は官主導の協調経済だったが、経済の効率化をそいだという反省から市場原理が第一という政策になっていた。それも転換期に入った。正村公宏の『経済が社会を破壊する』(NTT出版)もそうした意見のひとつだ。日本社会は人間の量(人口)と同時に質でも再生産に失敗したという。長時間労働、家族の崩壊、幼児虐待、社会保障制度の揺らぎ・・・。根は圧倒的な商業主義、産業主義の影響にある。これからの経済政策は、成長でなく、資源と環境、人間性の維持に目標を置くべきだ、というのが正村の主張である。
 しかし、橋梁工事受注をめぐる大企業の体質的な談合などを眺めると、これまでの競争促進策はなんだったのか、という思いにとらわれる。正村は、社会装置としての企業に対し社会的ルールのもとでの公共的な監視が不可欠である、と政府による企業行動の制御を説いている。
 まっとうな意見ではあるが、果たして実現できるのか。小泉政権の経済財政諮問会議を見ていると、民間議員という名の企業経営者が政府を制御しているのが現実である。


04.8.10   大波小波 あきらめない

『平和と平等をあきらめない』(高橋哲哉/斎藤貴男、晶文社)。現在の事態をよく衝いた、苦い感慨を呼ぶタイトルだ。
 戦後、恐らく1970年代までは、少なくとも建前として、平和と平等の重要性は自明だった。それは社会科学の本が良く売れた時代とも重なる。が、80年代の狂騒の後、90年代末には「勝ち組・負け組」騒ぎが始まり、もはや人々は自分の生き残りしか考えなくなった。社会という連結車両がバラバラに切り離されていく中で、自分だけは指定席に居残ろうと、狂奔する。競争がすべての、強者の論理に居直った、新自由主義の時代の到来だ。
 自衛隊の多国籍軍編入に際しても、首相はふざけた川柳を嘯(うそぶ)くのみ。日の丸・君が代が強制されて教師・生徒の内心の自由が踏みにじられても、彼らを救援する声が高まるでもない。首相や石原都知事のような扇動的な政治家が、弱者に冷酷な政策にもかかわらず人気を得る。辺見庸がつとに指摘してきた「ヌエのようなファシズム」の具現化である。
 いつでも「弱者」に転じうる人々が、まだ安心、と、強者に加担する。これはナチスの時にもあったことだ。恐怖と褒章による人心の支配は、すでに始まっている。気付け! 諦めるな!(世界市民)

2003年5月22日 
昨日NHKのその時歴史が動いたを視聴した。    その時=昭和15(1940)年2月2日  
衆議院議員・斎藤隆夫が、日中戦争処理に関する政府批判演説をおこなう。
 一枚の録音盤から聞こえてくる、政府を糾弾する国会演説。そしてそれを打ち消そうとする怒号と罵声。演説の声の主は、衆議院議員・斎藤隆夫。太平洋戦争前夜、言論統制が進む時代に、身の危険を顧みず、軍部の政治介入、政府、議会の堕落を糾弾した国会演説は日本中に衝撃を与えた。泥沼化する日中戦争。国民の犠牲が拡大する中、事態打開の方針を示さない政府。軍部の政治介入に沈黙する政治家たち。国民の真実の声を反映させることこそ政治家の責務と考える斎藤は、戦争で疲弊する国民の気持ちを代弁すべく、国会の壇上で叫ぶ。「国家百年の大計を誤るようなことがあれば、政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできない!」しかし斎藤を待っていたのは、帝国議会議員除名という決定。これを機に、帝国議会は形骸化し、大政翼賛体制の下、やがて日本は太平洋戦争へ突入する。なぜ斎藤は、ひとり立ち上がらなければならなかったのか。
なぜ政府、議会、政党は斎藤を見捨て、議会政治の自壊につながる除名決定をしたのか。
番組では、演説を記録した貴重な「録音盤」をもとに、戦時下、言論が抑圧され、議会政治が崩壊してゆく生々しいプロセスを検証するとともに、斎藤隆夫の気骨の政治家としての生き方を描く。とてもいい番組であった。とくに現在、有事法制が成立し、個人情報保護法案が成立し、今日の中日新聞にもIT業界大きな打撃と6面に掲載されている。また、5月21日中日新聞に
弁護士中島通子がわかちあいという題で失業率が高まる一方で育児休業どころか死ぬほど働く人が増えるのは、どう考えたっておかしいと指摘している。

もうひとつ夕刊で北大の山口二郎(1958年、岡山生まれ)教授が転機の戦後日本で思考停止からの脱却をで警鐘している。法を守るとはどういうことかの題で有事法制を推進する政府の指導者は、日本は法治国家だから有事にも法体系か必要だと言う。法治主義の意味を取り違えられては困る。法治主義とは、国民が従順に法を守る統制のとれた国のことではなく、政府が国民に対して権力を発動するときに必ず法に従うという意味である。しかし、今までの日本の行政は、まじめに法を守ってきたとは言えない。相次いだ警察や刑務所の不祥事は、法を執行すべき行政がほしいままに権力を振るってきたことの一例である。また、こうした違法行為の横行に対して責任を取らない政府の指導者もまた、法をまじめに守っているとは言えない。そんな政府が本土決戦の時だけ法を守るといっても、説得力はない。

今日2003.5.23の中日新聞夕刊で作家の宮崎学さんが借金考の題で次のように述べています。とても重要な考えだと思いますので皆さんと勉強会を作りたいと思います。是非参加お待ちしています。
  
  金を借りる、金を貸すという行為はきわめて単純な契約に基づく経済行為であって、「道義」が問われる類のものではない。
 そして、この契約は、借りた金が返せなくなったときのことまで約定しているものである。
 もう一方で、「借りた金は返すのが人の道」という理屈があり、最近ではこれが横行している。「人の道」というのなら、最低限金利は取らないということになるのだが、高金利を取る者ほど「人の道」にうるさいようだ。「道義」は契約することなどできないものなのである。
 もともと銀行という存在はその本質は金貸しなのであるが、最近は国家からタダのような金利で無尽蔵に金を引き出す金借りに「成長」している観がある。そしてこの金借りは、利息の鞘(さや)を抜いて、本当の金借りに金を貸すのであるが、その低俗な経済行為さえ、貸しはがしに見られるように機能しなくなっている。
 
この国において、金を貸す、借りるという経済の基本構造が、為政者の過剰な介入により完全に破綻しているというのが現状である。
こうした時、住宅ローンを含み、借金を「マジメ」に返すのは、全くの愚行である。ためらいもなくすべての借金を堂々とそして明るく踏み倒す時が来たように思われる。どのような種類の借金であっても、踏み倒すこととによって失うものは、なんの意味もない「見栄」だけである。

 ちなみに私などは、数十年前からこれを実行し、何ら不利益をうけていない。       

現在の深刻な、破滅的な経済危機に直面しているときに私は、神野直彦著 人間回復の経済学を読み目から鱗が落ちました。今日も2箇所の中古住宅を見に行きましたがほんとにデフレが深刻であると感じました。首相周辺は3日夜、金融庁を中心に不良債権処理の加速策を検討していることを踏まえ、前倒しで作業を進め、来週中に金融問題の対応を柱とする基本方針を打ち出す見通しを明らかにした。このような時こそ、世紀の転換点であり、乱世であると思いピンチをチャンスに変えたいと思います。そこで勉強会など情報交換したいと思いますので、ぜひ多くの参加をお待ちしています。
 2002年10月6日 20:37:42 

 

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   現在辛い厳しい時代ですがいつまでもあきらめず夢を持ちましょう。ほんとに現在の政治状況は弱肉強食の競争社会が極限まで行われています。リストラや犯罪そして自殺が戦後最大を記録しています。こんなときは不正を追及し、困った時はお互い助け合いましょう。できる限り協力しますのでお気軽にお知らせ、連絡してください。


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あなたは04.8.7より人目のお客さまです。