投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 11 月 11 日 21:50:06:
大橋巨泉オフィシャルウェブサイトより
大橋巨泉の妻が死後初めての手記を発表! 安倍政権への怒りを訴え続けた最期、そしてまだまだ言いたい事が…
http://lite-ra.com/2016/11/post-2691.html
2016.11.11. 巨泉の安倍政権への怒りを未亡人が激白 リテラ
2016年7月12日、惜しまれつつも82歳で亡くなった大物司会者の大橋巨泉氏。当サイトではこれまでも折に触れて、安倍政権への怒りを筆頭に巨泉氏が息を引き取る直前まで我々に伝えようとしていた権力への反発のメッセージを紹介してきた。
〈今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです〉(「週刊現代」16年7月9日号/講談社)
あれから約4カ月が経ったいま、巨泉氏と47年間連れ添った寿々子夫人の手記が「週刊現代」16年11月19日号に掲載され話題となっている。
5ページにわたるこの手記では、これまでの夫婦生活や巨泉氏が司会者として大活躍していた時代の思い出話、夫の闘病を支えながら寿々子夫人が感じたことなど色々なトピックが語られているが、そのなかでもとりわけハイライトとして綴られているのが、巨泉氏が晩年に最も力を入れていた文筆の仕事、特に権力に対しての彼のメッセージについてであった。
〈テレビ業界でも何でも、今はハッキリ「名指し」で怒ってくれる人がいなくなったでしょ。皆、番組を降板させられることを恐れて、当たり障りのないことしか発言しない。でも主人は「いやなら降ろせばいい、いつでも辞めてやる」というスタンスで仕事をしてきましたから〉
〈自分に得になることは一つもないのに、言わないと気がすまない性格でした。それもこれも、あの人はやっぱり「日本が好き」だからなんです。(中略)安倍政権に対して批判し続けたのも、日本の未来を守るためです〉
巨泉氏といえば、民主党議員だった01年に、アメリカの同時多発テロを非難し「アメリカを支持する」との国会決議に民主党でたった1人反対、戦争へ向かおうとする姿勢を断固拒否したエピソードが印象深い。寿々子夫人が手記に書いている通り、日本の未来を守るためなら自分の得にならないようなことであってもその意見を主張し続けるという姿勢は、頑として曲げてこなかった人物なのである。
彼が政界へ乗り出したのは01年のこと。当時すでに巨泉氏は「セミリタイア」を宣言し悠々自適な生活を送っていた。そんな彼を動かしたもの、それは、当時人気絶頂だった小泉純一郎首相の進めようとする国づくりに対する危機感であった。
結果的には前述したような意見の相違で党との折り合いがつかず、巨泉氏は早々に議員を辞職してしまうわけだが、それ以降も彼は、強者のみがどんどん強くなり、虐げられている者のことは無視される世の中の流れに疑念を呈し続けてきた。
〈冷戦終了以降、アメリカ型の新自由主義経済がわがもの顔の現在、それに歯止めをかける思想や組織の存在は必須なのである。でないと「負け組」や「新貧困層」が拡大し、その中からテロリズムが増殖するのである。(中略)小泉やハワードが目指しているのは、「強者の論理」でくくる社会。自由主義経済なればこそ、弱者のための政党や組合は必要なのだ。何万人とリストラする大企業に対し、個人でどう戦うのかね!?〉(「週刊現代」05年12月10日号より)
そんな時代の集大成として登場したのが、第二次安倍政権である。巨泉氏は、経済を最優先にするなどと口当たりのいいことを述べる一方で、その裏にある安倍首相の本当のねらいを見抜いていた。巨泉氏はこのように警鐘を鳴らしている。
〈彼にとって「経済」はムードを煽る道具に過ぎず、本当の狙いは別のところにあるからだ。(中略)
安倍は先日、「国づくり」に関する有識者会議で、「ふるさと」や「愛国心」について熱弁をふるった。曰く、「日本人は生れ育った地を愛し、公共の精神や道徳心を養って来た。ふるさとをどう守ってゆくかを考えて欲しい」。見事なウソツキと言う他ない。(中略)
「公共の精神や道徳心」を強調することで、現憲法が保障してくれている、「個人の権利(人権)」に制限を加えたくて仕方がないのだ。それでなくても「知らしむべからず」なのに、もっと制限を加えて、政権の思う通りにあやつれる国民にしたいのである。そのためには現在の憲法が邪魔なので、これを改正するために、まず人気を取り、その勢いで改正してしまおうという訳だ。(中略)
そもそも憲法とは、国民が守るの変えるのという法律ではない。国家権力(時の政府)の公使を制限するためにあるものだ。軍部が暴走して、数百万人の国民の命を奪った戦前戦中のレジームへのタガとして現憲法は存在する。それを変えて戦前への回帰を計る現レジームは、禁じ手さえ使おうとしている。止めようよ、みんな〉(「週刊現代」13年5月4日号より)
また、巨泉氏はこのようにも語っていた。
〈ボクの危惧は、4月にウォール・ストリート・ジャーナルに、麻生太郎副総理が述べた言葉によって、裏うちされている。麻生は「参院選で安倍政権が信任された時、首相の関心はおそらく経済から教育改革と憲法改正に向うだろう」と言っていた。要するにボクの持論通りなのだ。“経済”とか“景気”とかいうものは、あくまで人気(支持率)を高めるための道具であり、本当の目的は教育と憲法を変えて、「強い日本」をつくる事なのである。この鎧を衣の下に隠した、安倍晋三は恐ろしい男なのだ〉(「週刊現代」13年6月22日号)
巨泉氏の嫌な予感はすべて的中。安倍政権は数の力を盾に横暴な国会運営を開始し、特定秘密保護法、安保法制を強行採決。さらには憲法改正に本格的に踏み出している。
巨泉氏が安倍政権を警戒し、怒りを表し続けてきた理由。それは、彼自身の戦争体験にある。1934年生まれの彼が実際にその目で見た戦争は、人間の命がないがしろにされる恐ろしいものだった。それは安倍政権や、彼らを支持する者たちが目を背けている、戦争の真の姿である。
〈何故戦争がいけないか。戦争が始まると、すべての優先順位は無視され、戦争に勝つことが優先される。昔から「人ひとり殺せば犯罪だけど、戦争で何人も殺せば英雄になる」と言われてきた。
特に日本国は危ない。民主主義、個人主義の発達した欧米では、戦争になっても生命の大事さは重視される。捕虜になって生きて帰ると英雄と言われる。日本では、捕虜になるくらいなら、自決しろと教わった。いったん戦争になったら、日本では一般の人は、人間として扱われなくなる。
それなのに安倍政権は、この国を戦争のできる国にしようとしている。
(中略)
ボクらの世代は、辛うじて終戦で助かったが、実は当時の政治家や軍部は、ボクら少年や、母や姉らの女性たちまで動員しようとしていた。11、12歳のボクらは実際に竹槍(たけやり)の訓練をさせられた。校庭にわら人形を立て、その胸に向かって竹槍(単に竹の先を斜めに切ったもの)で刺すのである。なかなかうまく行かないが、たまにうまく刺さって「ドヤ顔」をしていると、教官に怒鳴られた。「バカモン、刺したらすぐ引き抜かないと、肉がしまって抜けなくなるぞ!」
どっちがバカモンだろう。上陸してくる米軍は、近代兵器で武装している。竹槍が届く前に、射殺されている。これは「狂気」どころか「バカ」であろう。それでもこの愚行を本気で考え、本土決戦に備えていた政治家や軍人がいたのである。彼らの根底にあったのは、「生命の軽視」であったはずである〉(「週刊朝日」15年9月18日号/朝日新聞出版)
本稿冒頭にあげた〈選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい〉という言葉が掲載された「週刊現代」が発売された後、ひと月も経たずに巨泉氏は亡くなった。
当然のことながらニュースでは、『11PM』(日本テレビ)、『クイズダービー』(TBS)、『世界まるごとHOWマッチ』(MBS)といった人気番組を手がけた功績などを讃えつつ訃報を伝えたわけだが、残念なことに、最期の最期に巨泉氏が我々に残そうと苦闘した政権への怒りのメッセージを、ワイドショーやニュース番組はことごとく無視した。『報道ステーション』(テレビ朝日)でさえ最後のコラムの〈今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずなことが連日報道されている〉という部分までしか紹介しなかった。安倍首相について言及した部分まで報じたのは、『NEWS23』(TBS)だけだ。
寿々子夫人は前述の手記で、巨泉氏の遺品整理をしたときのことについて、このように述べている。
〈亡くなった後、カナダや千葉の自宅から、英字新聞や日本の新聞、パソコンからプリントアウトしたものに一杯、赤線が引いてあるのが見つかりました。タイトルのついている原稿用紙まで出てきた。まだまだ書きたいこと、言いたいことは山ほどあったのでしょう〉
巨泉氏が亡くなったのとわずか数日違いで、彼と交遊が深かった永六輔氏が亡くなってしまったのは記憶に新しい。永氏も同じく戦時中の体験を語りながら、憲法を守り平和を守ることの大切さを語り続けていた文化人のひとりだ。
寿々子夫人が手記で書いていた通り、現在のマスメディアは圧力を恐れてどんどん物を言えない環境になっている。そんななか、巨泉氏や永氏のような存在は貴重なものだった。その意志を無為にすることのないよう、我々は彼らの最期のメッセージをもう一度胸に刻み付ける必要がある。
(新田 樹)