全員実名で告発! 袴田巌さんの罪をデッチあげた刑事・検事・裁判官(週刊現代)
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全員実名で告発! 袴田巌さんの罪をデッチあげた刑事・検事・裁判官
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38938
2014年04月14日(月) 週刊現代
48年もの間、死と隣り合わせで生きる恐怖とはいかばかりか。矛盾だらけのシナリオを成立させるために結託したエリートたちには、到底わかるまい。人の命はそんなに軽いものではない。
■「捏造された疑いがある」
当たり前のことが、当たり前に論じられない。それが有罪率99%を誇る日本の司法の実態らしい。
3月27日に再審開始が決まった元死刑囚・袴田巌さん(78歳)のケースはその典型だ。大々的に報道されているので詳細は省くが、事件が発生したのは1966年6月。犯人は静岡県清水市内に住む味噌製造会社の専務宅で夫妻と次女、長男をメッタ刺しにしたうえ、放火して逃走。8月、静岡県警清水警察署(当時)は味噌製造会社の従業員だった袴田さんを逮捕した。
「袴田さんは無実を主張し続けましたが、9月上旬に突然、自供。その背景には一日平均12時間、最長17時間にもおよぶ過酷な取り調べがありました。後に弁護団が入手した県警の捜査資料には『取調官は、犯人は袴田以外にない、袴田で間違いないと本人に思い込ませろ』という一文があったのです」(全国紙社会部記者)
公判でも袴田さんは一貫して無罪を主張したが、下された判決は死刑。控訴、上告ともに棄却され、'80年に死刑が確定した。袴田さんは翌'81年、静岡地裁に再審請求をしたが、こちらも認められることはなかった。
袴田さんを有罪とする根拠は強引な取り調べで得た自白と、犯行時に着ていたとされる5点の衣類―スポーツシャツ、ズボン、半袖シャツ、ステテコ、ブリーフのみ。今回、静岡地裁が再審を決めた理由は、
「5点の衣類は袴田元被告のものでも、犯行時に犯人が着ていたものでもなく、後日捏造された疑いがある」
というものだった。
最終ページの表はそんな脆弱な証拠を頼りに袴田さんを死刑にしようとした警察、検察、裁判所の面々をまとめたものだ。
48年もの拘留によって、袴田さんは衰弱。糖尿病、認知症を患っている可能性があるため、地元・静岡の病院で静養する予定だった。だが、「長時間の移動に耐えられる体調ではなかったので、都内で治療しています」と語るのは「無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巌さんを救う会」(以下、「救う会」)の門間幸枝氏だ。
「拘置所で袴田さんは『毒が入っている』と薬を飲まなかったり、『袴田はもう死んだ』と言ってみたり、普通の精神状態ではなく、治療ができなかったというのです。しかし、48年も死の恐怖とともにあったのだから、正気でいるほうが難しい。袴田さんに再審開始を伝えても『ウソだ!』となかなか信じてもらえませんでした」
事件当時、現在のような高度なDNA鑑定技術が存在しなかったのは事実である。だが、問題の本質はそこではない。捜査そのものが、当初から矛盾だらけだったのである。
■みんなグルだった
「最大のポイントが『5点の衣類』であることは周知のとおりですが、発見された経緯からしておかしい」
そう指摘するのは20年以上、袴田事件を追い続けているノンフィクション作家の山本徹美氏だ。
「事件発生から1年2ヵ月後、急に味噌製造会社の味噌タンクで発見されるのですが、こんな誰でも思いつく隠し場所から事件当初に見つかっていないことがまず不自然。しかも、それまで犯行時の着衣は『血染めのパジャマ』だったのに、唐突に『5点の衣類』へと変更され、その後、間をおかずにズボンの共布(予備の布)が袴田さんの実家で発見されるのです。ズボンは袴田さんが絶対にはけない小さいサイズだったのに」
救う会の幹部はこの共布を発見した静岡県警の元警部補から、こんな興味深い証言を得たという。
「家宅捜索責任者の松本久次郎警部に『袴田の実家のタンスを探せ』と指示されたとおりに捜索したら、共布が出てきた。自分は県警本部から応援組として派遣されたんですが、『なんで公判中の事件のガサ入れに付き合わねばならんのだ』と思っていました」
松本警部(当時、以下同)は最も多く袴田さんの取り調べを行った捜査班長。証拠を応援組に発見させ、客観性を持たせようとしたとすればあまりに姑息だ。
救う会幹部が続ける。
「共布は味噌に漬かっていなかったから変色していない。それなのに松本警部はすぐに『タンクで発見されたズボンの共布だ』と指摘した。なぜ即座に見分けがついたのか?」
矛盾はまだまだある。
捜査班は「カネに困った袴田さんが強盗目的で専務一家を襲った」というシナリオを描いたが、専務のスーツのポケットに入っていた財布などが物色された形跡はなかった。
「すると今度は5万円が入った差出人不明の封筒が清水郵便局に届くわけです。ご丁寧に1万円札のシリアルナンバーが焼き消されていて、『袴田に送るよう頼まれた』という証言者の女まで現れた。しかし、この女は袴田さんと親しくない人物だった。この一件も警察によるデッチあげだったことが公判で判明しています」(前出・山本氏)
この証言者の取り調べを行ったのが、捜査班の住吉親警部補である。
袴田弁護団の村崎修弁護士は一昨年、静岡で住吉氏本人と接触したが、「話したくない」「覚えていない」と面談を拒否されたという。
「袴田事件では、裁判や捜査に都合のいい証拠がタイミングよく出てくる。きわめて幼稚なやり方なのに、裁判所は疑問の声すら上げなかった」(村崎氏)
逃げ惑う一家4人をつかまえ、メッタ刺しにしたうえで放火。まさに阿鼻叫喚の現場のはずが、凶器とされたのは小刀1本のみ。壁と壁がわずか40cmしか離れていない隣家の誰も悲鳴を聞いていない―など、他にもおかしな点を挙げるときりがない。
証拠がこれほど脆弱ななか、検察が死刑求刑のよりどころとしたのが、袴田さんの自白だった。
長時間の取り調べが問題になったためか、松本警部らが作成した調書45通のうち、44通は証拠として採用されなかった。
ところが、上告趣意書で袴田さんが「支離滅裂な悪魔のような男」と忌み嫌っていた吉村英三検事に、なぜか袴田さんは突然心を許して犯行を自白したことになっている。しかも、警察作成の自白調書と異なり、吉村調書は唯一証拠採用されているのである。
「吉村調書は警察の取った調書とほとんど同じ内容。犯人しか知りえない秘密の暴露はひとつもない。それどころか、『パジャマで犯行に及んだ』など矛盾だらけ。私は吉村氏こそ、この冤罪事件を生んだ『主犯』だと考えています」(救う会メンバーの後藤挙治氏)
ちなみに吉村検事はその後、長崎地検佐世保支部長、東京高検検事、甲府地検次席検事、仙台地検検事正と順調に出世。'02年春の叙勲で勲二等瑞宝章を受章している「エリート検事」だ。
東電OL殺人事件で無罪判決が下ったゴビンダさんに対する、検察の勾留要請を退けたことがある、元東京高裁判事で弁護士の木谷明氏が解説する。
「これまでの経験から言って、警察や検察の捜査官は証拠の捏造やすり替えをやりがちです。そこを裁判所がもっと、しっかり認識しなければなりません。もしも捜査官が100%信用できるのならば、裁判官は要らないわけですから。ところが、司法の現場では捜査官、とくに検事に対する裁判官の信頼は大きい。『検事という立場にあるものが証拠の改竄などするはずがない』と平然と言う裁判官もいます」
袴田事件の場合、裁判所は検察の不正を見抜けなかっただけでなく、積極的に協力しているフシまである。
「袴田さんの実家から共布が見つかった翌日に、地裁はなんと臨時公判を入れている。そしてそこで検察は見つかったばかりの共布を提出。その日の午前中にはズボンが売られていた店まで割り出して調書をとっています。どう考えても不自然です」(前出・山本氏)
裁判所が警察・検察とグルになって、袴田さんを殺人犯に仕立て上げた構図が浮かび上がる。
■異を唱えた裁判官
司法が暴走するなかで、たった一人、職を賭して異を唱えた男がいた。
死刑判決を出した静岡地裁の裁判で左陪審(判事補)を務めた熊本典道元判事その人だ。
当時30歳で、一審担当の裁判官の中で最年少だった熊本氏は「こんな証拠で死刑にするなんて無茶だ」と訴えた。だが、石見勝四裁判長、高井吉夫右陪審に押し切られた。
良心の呵責に耐え切れなくなった熊本氏は死刑判決の翌年、裁判官を辞めた。
「その後、弁護士になったものの袴田事件の後悔から酒浸り。一時は自殺も考えたそうです。'07年に熊本氏は先輩裁判官2人が亡くなったのを機に、『救う会』と接触。『心にもない判決を書いた』と、タブーを冒して、3人の裁判官の評議内容を暴露したのです」(救う会メンバー)
検察は、本人が罪を認めているというのに毎日10時間を超える取り調べを行っている。最も重要な証拠だった犯行時の着衣が、逮捕から1年後に違うものになっている……。
若き熊本氏が感じた疑問を、その後の高裁、最高裁の裁判官たちは揃いも揃って無視した。
極めて不自然な証拠であるズボンを「被告人のものと断定できる」、他の衣類も「被告人のものである疑いが強い」とし、吉村調書の矛盾点は「大筋であっている」と問題視せずにスルーした東京高裁の横川敏雄裁判長は控訴を棄却した翌年、札幌高裁長官に栄転。後に早大法学部客員教授を務めた('94年に死去)。
「原判決に事実誤認はない」
と上告を棄却した宮崎梧一最高裁裁判長は'86年秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章している('03年に死去)。
13年も待たせておきながら、弁護団が要請した証拠調べや証人尋問もせずに、最初の再審請求を棄却した静岡地裁の鈴木勝利裁判長は東京高裁判事に出世。
即時抗告からやはり10年も待たせておきながら、
「確定判決の証拠は相当に強固で、事実認定に疑問は生じない」
と棄却を決めた安廣文夫東京高裁判事。彼は、袴田弁護団から「裁判記録や証拠を見ずに棄却決定をした」として懲戒申し立て請求をされながらも、定年まで勤め上げて中央大学法科大学院教授に就任した。この安廣氏が、村木厚子現厚生労働事務次官を冤罪に陥れた郵便不正事件の検証アドバイザーに選ばれているのは、皮肉と言うほかない。
「5点の衣類は長期間、味噌の中に漬け込まれたことは明らか」「共布の発見に証拠の捏造をうかがわせる事情は見当たらない」
と袴田さんの足かけ27年におよぶ再審請求を棄却した最高裁の判事にしても、今井功裁判長と中川了滋裁判官がともに旭日大綬章を受章している。
だが、司法は遅ればせながら自らの過ちに気付く。
2人の元最高裁判事が叙勲を受けた'11年の夏、静岡地裁は「5点の衣類」のDNA再鑑定を決定。その結果、証拠能力が否定され、再審開始が決まった。
冤罪が確定すれば、刑事補償法により一日最高1万2500円が支払われる。袴田さんにはざっと計算して2億円近い額が払われることになるが、台無しにされた48年の人生はカネで贖えるものではない。
「刑事や検事、裁判官たちは何の罪にも問われないのか。死刑が確定した事件でほかに冤罪はないのか、冤罪なのにすでに死刑が執行されてしまったケースはないのか。それらの問題と併せて検証すべきです」(『絞首刑』の著書があるジャーナリストの青木理氏)
前出の救う会・門間氏が、最後にこう語る。
「冤罪事件は国家による犯罪です。組織的に継続的に証拠を捏造していたのだとすれば、故意犯です。少なくとも彼らは謝罪しなければならない。熊本さんは『許されるとは思っていませんが、直接謝りたい』と言っていました。自身もがん、脳梗塞と大病を患って大変な状況ですが、熊本さんのような良識ある裁判官がいたことが唯一の救いです。捏造に加担した捜査関係者は自ら名乗り出て謝ってほしい。それが人間として、最低限の義務ではないでしょうか」
「週刊現代」2014年4月12・19日合併号より