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政治の季節【稗史(はいし)倭人伝】

稗史とは通俗的かつ非正統的な歴史書等をいいます。 現在進行形の歴史を低い視点から見つめます。

小沢一郎の反転攻勢…「敵をして語らしめよ」

ついに小沢一郎が攻撃に転じた。
69歳。
自分の年齢との勝負にさしかかっている。
このままダラダラと裁判を続けるのか、それとも乾坤一擲の勝負にでるのか?
69歳という年齢が小沢一郎に重くのしかかっている。

健康問題も以前からささやかれてきた。
先日の登石判決を見ては、小沢一郎も腹をくくるらざるを得なかったのだろう。
一審で有罪判決が出されれば、控訴審判決、最高裁判決がでるまで4・5年かかるだろう。
そのとき無罪判決を得ても意味がない。
政治家・小沢一郎の生命はここ1・2年で決まる。

小沢一郎はそのことを自覚しているのだろう。
ついに小沢一郎は戦いに踏み切った。

堂々たる検察批判である。
そしてこれはとりもなおさず、司法批判であり、体制批判である。

「気弱な地上げ屋」さんが小沢一郎の法廷での意見陳述の全文を掲載してくれています。

今、指定弁護士が話されたような事実はありません。

裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士の主張に対し、私の
主張を申し上げます。指定弁護士の主張は、検察の不当・違法な捜査で
得られた供述調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づく
に過ぎず、この裁判は直ちに打ち切るべきです。


「検察の不当・違法な捜査」
「検察審査会の誤った判断」
「裁判は直ちに打ち切るべき」

小沢一郎はいきなり怒りをぶつけた。
彼を取り巻く理不尽な悪意に対する怒りであろうか。

>本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民からの何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を濫用(らんよう)し、議会制民主政治を踏みにじったという意味において、憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。

>この捜査はまさに、検察という国家権力機関が、政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、明確な犯罪事実、その根拠が何もないにもかかわらず、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは明白な国家権力の濫用であり、民主主義国家・法治国家では到底許されない暴力行為であります。


「主権者である国民からの何の負託も受けていない一捜査機関」
「国家権力を濫用」
「議会制民主政治を踏みにじった」
「憲政史上の一大汚点」
「私を政治的・社会的に抹殺するのが目的」
「民主主義国家・法治国家では到底許されない暴力行為」

すさまじいばかりの怒りの爆発である。
だれも予想もしていなかった痛烈な批判である。
小沢一郎の覚悟がストレートに伝わってくる。

>本件で特に許せないのは、国民から何も負託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒とく、侵害したことであります。

>日本は戦前、行政官僚、軍部官僚、検察・警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。


こうした思いは、西松献金事件以来、多くの人が抱くようになっていた。
発言自体は特に目新しいものというわけではない。
衝撃は、小沢一郎自身が発言したというところにある。
ある意味日本の政治の中心に座り続けている小沢一郎が、その存在をかけての発言であるというところにあるのだ。

小沢一郎の戦いは新しいステージに入ったのだ。
新聞・テレビは一斉にこの小沢発言を取り上げている。
もちろん悪意は十分に盛り込んでのことではあるが。

しかし、これはマスコミにとっては諸刃の剣である。
確かに、小沢一郎攻撃の絶好の材料ではある。
しかし、マスコミが決して報道してこなかった、検察・司法の謀略という視点を自ら報道してしまうことになったのだ。

「検察の捜査は政治家・小沢一郎の抹殺が目的」(産経ニュース 2011.10.6)
あの産経でさえ、このような見出しを付けている。

大手マスコミの報道にしか接してこなかった国民に、マスコミ自身が新たな視点を提供せざるを得なくなったのだ。
小沢発言に反感を募らせる人は多かろう。
しかし、もともと彼らはマスコミに乗せられているのだ。
別にどうということはない。

しかし中にはこの小沢発言の意味を真剣に考えようとする人も出てくるだろう。
この小沢発言に接して、初めて検察・司法のあり方に疑問を抱く人もあるだろう。
この事件に対するこれまでの自分の見方と余りにも違う事件の様相に驚く人もいるだろう。
小沢一郎事件の真相に気づく人も出てくるかもしれない。

小沢一郎にとって、これほどに腐った司法との妥協は、自らの政治的信念を汚すことになる。

>まだ間に合う、私はそう思います。
裁判長はじめ裁判官の皆様の見識あるご判断をお願い申し上げ私の陳述を終えます。
ありがとうございました。


”お願い”なのか、それとも”挑戦”なのか。
これは司法に対して小沢一郎が突きつけた踏み絵なのかもしれない。

そして小沢一郎は同時にマスコミとの対決にも踏み切った。

「ちゃんと勉強してから質問して」(産経ニュース 2011.10.6)
「はい、あのー、私はテレビ、新聞のやっている世論調査、国民の声というものがまったくデタラメとは申し上げませんけれども、しかし、必ずしも全国民のまんべんなく意見を代表しているというふうにも思えません。……」


記者会見で小沢一郎は改めて陳述書を読み返した。
もはやマスコミは大きな加工を加えられない。
小沢一郎の言い分を報じながらも、多少の悪意をちりばめる程度のことしかできない。
NHKを始めとして、テレビは小沢一郎の怒りの言葉を伝える。

「国家権力を濫用」
「議会制民主政治を踏みにじった」
「憲政史上の一大汚点」
「私を政治的・社会的に抹殺するのが目的」
「民主主義国家・法治国家では到底許されない暴力行為」

「マスコミの世論調査が全くのデタラメとは思いませんが……」

小沢一郎は、大手マスコミが決して伝えてこなかった真実を彼らの口を借りて伝えている。

「敵をして語らしめよ」である。

小沢一郎は言う。
「まだ間に合う」

今がそのぎりぎりのときなのである。