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32年前の日航123便墜落の真相は闇に葬られるのか


 毎年8月12日になると、いまでも必ず報じられる事がある。

 それはもう32年も前になる(1985年)、日航ジャンボ機の群馬県の御巣鷹山中墜落事故だ。

 乗客、乗員併せて520名もの犠牲者を出した。

 その中には歌手の坂本九さんもいた。

 この事故は、公式にはボーイング社の修理ミスで機体後部の圧力隔壁が破損し、その圧力で尾翼の一部が吹き飛んで機体のコントロールが失われた「事故」として処理された。

 しかし、その「公式結論」には、当初から様々な疑義が呈せられ、いまでも異論を唱える人が多い。

 私がこの真相解明論争に関心を抱いてきたのは、疑義の一つに自衛隊や在日米軍の関与説があるからだ。

 すなわち、墜落直前のジャンボ機を自衛隊の戦闘機が追尾していたとか、訓練用ミサイルを連想させるオレンジ色の物体が尾翼向かって飛んで来たとか、米軍が墜落直後に横田基地から輸送機を現場に飛ばし、上空から炎上する機体を確認し、救援ヘリを飛ばしていながら、何もせずに引き返した事などである。

 すぐに救出作業をしていれば多くの人命が救われたのに、ここまで多くの犠牲が出たのは、何者かが証拠隠滅のために強力な燃料で現場を焼きつくしたのではないかという陰謀論まであるほどだ。

 しかし、そのような疑惑は一切追及されることなく、いまでは毎年の報道は犠牲者の追悼だけに終わって完全のあの事故は風化しつつある。

 そんな中で、発売中の週刊実話(9月14日号)に、経済評論家の森永卓郎氏が自らの連載「格差社会を生き抜け!森永卓郎の経済千夜一夜物語」でこの墜落事故について書いているのを見つけた。

 「私がメディアでニュースの仕事にかかわるようになって20年が経つが、いまだに腑に落ちないのが、32年前に起きた日本航空123便が御巣鷹尾根に墜落した事件だ」と。

 私がその記事の中で注目したのは、当時、日本航空で働いていた客室乗客員だった青山秀子さんという人が、この7月に「日本航空123便墜落の新事実」(河出書房新社)という本を出版した事が紹介されていたからだ。

 真相を探ろうと、あらゆる文献を収集・整理し、目撃証言を集め、人生をかけて取り組んだ集大成であるという。

 私は早速その本を買って読んでみようと思う。

 森永氏はその記事の最後をこう締めくくっている。

 「事件から30年以上経過したのだから、政府は国民に真相を明かすべきだ。それは、加計学園より重要な問題だ」と。

 私もそう思う。

 しかし、決して政府が真相を国民に明かす事はないだろう。

 加計問題は安倍首相という一人の政治家のスキャンダルだ。

 安倍首相が責任をとって政権を手放せば済む話だ。

 しかし、ジャンボ機墜落事故の真相が、もしも日米同盟の不都合な真実に行き当たるとすれば、それは戦後72の戦後史の根本にかかわる大問題になる。

 一首相、一内閣の問題では済まない。

 この国には、絶対に国民に知らせてはいけない闇があるに違いない。

 因みにこの時の首相は中曽根康弘首相であり、いまでも存命である(了)



※関連記事
日航ジャンボ機墜落事件炭化遺体と軍用燃料ー(植草一秀氏)
http://www.twitlonger.com/show/n_1sq485k
16th Aug 2017 市村 悦延 · @hellotomhanks


『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』
(河出書房新社・最新刊)

https://goo.gl/auvNJY

「日航機墜落事故 米軍幻の救出劇 (米軍パイロットの証言)」
https://www.youtube.com/watch?v=65krBx_Bblg

「日本航空123便墜落事故を検証する」
http://www.link-21.com/JAL123/index.html

などの情報を総合すると、

1985年8月12日に発生した日航ジャンボ機123便墜落事件の全体像が

かなりはっきりと浮かび上がってくる。

元日航客室乗務員の青山透子さんが123便墜落で犠牲になられた方の33回忌に

合わせて、この8月に刊行された上記新著


『日航123便墜落の新事実』
https://goo.gl/auvNJY

には、タイトルにもあるように、墜落に関する新事実が散りばめられている。

ジャンボ機が墜落した直後、長野県南佐久郡川上村に在住する

中嶋初女さんという女性が、午後7時05分に、長野県南佐久郡臼田警察署に、

墜落現場の正確な情報を伝えていた。

「NHKスペシャル 日航ジャンボ機事故 空白の16時間 ~“墜落の夜”30年目の真実~」(2015年8月1日放送)



1時間22分20秒以降の部分

また、米空軍の輸送機U130パイロット、マイケル・アントヌッチ中尉が

重大な証言を公表した。

「当機は、陽が長くなった夏の夕日が沈みかけていたころ、

機首を北北西に進路を取った。

午後7時15分、航空機関士が1万フィート付近で雲の下に煙のようなものが見えるのを

発見したので、ゆっくり左に旋回し、そちらへ方向を向けた。

御巣鷹山の周辺はとても起伏が多かった。

地表からおよそ2000フィートまで降下する許可を得た。

墜落機残骸を発見したのは、あたりはだんだんと暗くなり始めていた時だった。

山の斜面は大規模な森林火災となり、黒煙が上がり、空を覆っていた。

時刻は7時20分だった。」


米軍輸送機は午後7時20分に墜落現場を確認している。

そして、この輸送機が米軍の救援ヘリを視認したのが午後8時50分。

ヘリは地上に救援隊員を降下させようとしたが、

横田基地から「直ちに基地へ帰還せよ」との命令が下された。

救援ヘリは救助続行を希望したが、横田基地は機関命令を下した。

米軍輸送機は午後9時20分に日本の自衛隊機が現地に到着したのを確認して

帰還した。

上記2015年8月15日放送のNHKスペシャルは、

墜落当日夜にヘリコプターで墜落現場を視認した自衛隊パイロットの証言も

収録している。

https://www.youtube.com/watch?v=uq2GkTouyCE


(31分05秒以降の部分)

自衛隊は現地に2機目のヘリコプターを13日午前零時36分に

入間基地から派遣している。

機長の金子正博氏は、このフライト墜落現場を上空から確認したことを証言している。

同時に、陸上からは長野県警の大澤忠興氏がぶどう峠から

航空自衛隊ヘリコプターが墜落現場を上空から確認し、

サーチライトを当てている場面を正確に伝えていた。

航空自衛隊の金子正博氏が墜落現場の報告の際に、地上の警察照明の位置を

「北北西30度4マイル」

と伝えるべきところ、

「北北東30度3マイル」

と誤って伝えたとNHK報道は伝えるが、にわかに信じ難い話である。


自衛隊は墜落後、午前零時36分にかけて、

二度にわたって墜落現場を空から確認している。

米軍は墜落から20分後には墜落現場を確認している。

当局が墜落現場を特定できなかったというのは、完全なフェイク=虚偽情報である。

実際に救援活動が始まったのは翌日13日の午前7時以降である。

この間に一体何があったのか。

そして、なぜ、早期の救援活動が行われなかったのか。

きわめて深刻で深い闇がある。

その闇の正体を多くの探求者が、すでに探り当てているのである。

青山氏の著書はきわめて重大な事実をも発掘している。

群馬県警察本部発行の昭和六十年十月号『上毛警友』冊子が

日航機墜落事故特集号となっており、その122ページに

「日航機大惨事災害派遣に参加して」

と題する自衛隊第十二偵察隊一等陸曹M・K氏の手記が掲載されている。

このなかに次の記述がある。

「八月十二日私は、実家に不幸があり吾妻郡東村に帰省していた。

午後六時四十分頃、突如として、実家の上空を航空自衛隊のファントム二機が

低空飛行していった。その飛行が通常とは違う感じがした。

「何か事故でもあったのだろうか」と兄と話をした。

午後七時二十分頃、臨時ニュースで日航機の行方不明を知った。」

つまり、この日の夕刻午後6時四十分頃に群馬県上空を自衛隊のファントム2機が

飛行していたのである。

同時に青山氏はもうひとつの重要な目撃証言を掲載している。

8月12日午後6時30分頃に、静岡県藤枝市の上空を日航ジャンボ機が

傾きながら飛行し、その約5分後にファントム2機が日航機の後を追うように

北の方向に飛び去ったのを目撃した人物が紹介されている。

日航ジャンボ機が尾翼を失い、この日航ジャンボ機を追尾するように

自衛隊ファントム2機が追尾するという事実が存在した可能性が極めて高いのである。


日航ジャンボ123便の機長である高浜雅己氏は、

異常音が発生した直後に「スコーク77」を発信している。

同時に発した言葉が「オレンジエア」である。

この間に副操縦士が「これ見てくださいよ」と述べている。

その後機関士が「オレンジエア」と発している。

https://www.youtube.com/watch?v=amA1rwyiuAY

ジャンボ機最後尾56G席に搭乗していた小川哲氏が撮影した写真には、

ジャンボ機に接近する飛行物体が映し出されていた。

その飛行物体を専門家が解析すると、円錐または円筒状の物体で

オレンジ色の色味を帯びているもの、

さらに飛行機の方向に接近しているものであるとの結果が得られたという。


コックピットはこの飛行物体を視認しており、衝撃音があったのち、

直ちに「スコーク77」を発信し、その原因について

「オレンジエア」

と表現したのだと思われる。

「日本航空123便墜落事故を検証する」
http://www.link-21.com/JAL123/index.html

は、すべての状況からひとつの推論を提示している。

http://www.link-21.com/JAL123/022.html

「123便に衝突したのはファイヤー・ビーとチャカ2」

分析は次のように記している。

「事故当日、事故現場の相模湾では、相模湾内で護衛艦「まつゆき」が

試験航行していた。すでに指摘されているように、

誘導レーダーの実験演習が行われていて、

123便の衝突したのは実証実験中の誘導ミサイルと考えることは自然である。

ネット上での説は、無人標的機のファイア・ビーが犯人であるとしているが、

ボイスレコーダーに衝撃音が2度あることから、

無人標的機のファイア・ビーとそれを追尾していた誘導ミサイルのチャカ2が

連続して123便に衝突したと考えるべきである。」

「日本航空123便は、離陸から12分後の18時24分、

相模湾上空を巡航高度の7,200mを南西方向に機首を向けて上昇していた。

同時刻に、誘導ミサイルの実証実験をしていた護衛艦「まつゆき」から発射された。

無人標的機のファイア・ビーとそれを追尾する模擬誘導ミサイルのチャカ2は、

高度7000m付近を南東方向の縦に並んで水平飛行していた。

南東に向けて水平飛行していた「ファイア・ビー」と「チャカ2 」は、

南西に向けて上昇中の日本航空123便クロスするように衝突。

先頭を飛んでいた「ファイア・ビー」は、123便の胴体の中央下部に、

「ファイア・ビー」を追尾していた「チャカ2 」は、

1一秒遅れて水平尾翼に衝突した。

この時の衝撃音が、18時24分35秒と36秒の衝撃音。

日本航空123便は、胴体中央下部への衝突で油圧系統が損傷。

さらに、車輪格納扉が落下もしくは開放され、機内は着陸警報が一秒間鳴り、

同時に急減圧による白い霧が発生し酸素マスクが自動降下した。

一秒後に「チャカ2 」は、水平尾翼に衝突して垂直尾翼が落下。

水平尾翼が、進行方向に対して機尾が九の字の跳ね返り、さらに右舷に傾いた。

以降、123便は、直進の際に、機首が上を向きながら右へ傾くようになる。」


極めて説得力のある推論であると言える。

こうなると、ファントム2機が追尾したことも理解できる。

政府、あるいは自衛隊が事実発覚を恐れたとすれば、

現場検証が行われる前に、証拠物を隠滅すること、

別の墜落原因を捏造することなどが必要になる。

墜落原因とされた圧力隔壁は現場からそのまま搬出されなかった。

自衛隊が日米合同の事故調査委員が来る前日の8月15日に

大型電動カッターで5分割にしてしまったのである。

最重要の事故原因検証の証拠物を自衛隊が破壊したのである。


生存者である日航CAだった落合由美氏は、

「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。

ひとりではなく、何人もの息遣いです。

そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。

「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」

「救助ヘリコプターが上空で回っているのがわかった。

手を振ったが気付いてくれなかった。

自分の周りでは数人の子どもたちの声が聞こえたがそのうち聞こえなくなった」

と証言している。

墜落直後には多数の乗客が生存していた。

しかし、救援活動は行われなかった。

救援活動に着手しようとした米軍ヘリは、横田基地の命令で強制帰還させられている。

そして、自衛隊ヘリコプターは墜落直後に2度も墜落現場を確認しながら

救援活動を行わなかった。

さらに、米軍に救援要請もしなかったのである。


そして、より恐ろしい仮説が存在する。

青山氏の新著137ページ以降に記述されている

「ガソリンとタールの臭いが物語る炭化遺体と遺品」

である。

乗員4名と乗客1名の司法解剖を担当した群馬大学医学部の古川研教授が、

「(機体)前部の遺体には損壊や焼損が目立ち、衝撃のすさまじさと

主翼の燃料タンクの火災の影響を受け、焼損遺体の中には部位も

判然としないものがあり、通常の家屋火災現場の焼死体をもう一度焼損したように

見えた(略)」と記述しているのである。

青山氏が元自衛隊関係者、軍事評論家、大学の研究者に質問して得られた結果からは、

次のような証言が得られている。

質問 ガソリンとタールの臭いが充満し、長時間燃える物質、

その結果、人間の体が炭のようになる状態のものは何か。

答え ガソリンとタールを混ぜて作ったゲル状燃料である。

質問 これはどこで手に入るのか。

答え 一般にはない。軍用の武器である。

質問 それはどこにあるのか。

答え 陸上自衛隊普通科歩兵、化学防護武器隊で、

相馬原普通科部隊にもある可能性が高い。

相馬原普通科部隊とは、群馬県北群馬郡榛東村に所在する部隊のことである。


安易な推察や断定はするべきでないことがらであるが、

恐るべき真相が隠されている可能性を否定はできないのである。

松本清張氏が「日本の黒い霧」によって多くのことがらを闇から現実に引き戻された。

私も「平成の黒い霧」を告発し続けてきたが、「日航ジャンボ機墜落事件」もまた、

決して迷宮に送り込んではならぬ重大事案である可能性が

極めて高いものであると考える。